光になって。

 死ぬまで、後何年、何時間、何日残って居るんだろう。子供の頃から頭にある第1ピリオドまで、あと2年。私はそこで死ぬのか、生きたまま違う人生を踏み出すのか、私は神様では無いから分からないけれども、2年後に何かが起こる予感だけはずっとしている。それは5年前からひしひしと強く感じている。私はどうなるんだろうか。
 ばあさんがとうとう亡くなってしまった。別に悲しくもなんとも無い、自分。冷たい人間かもしれないが、ばあさんに対しての愛が無いから致し方ない。ばあさんは私が幼い頃から、私の全てを拒否・否定し、私を侮辱し続けた。だから、そこには愛が無い。
 手紙を書くように言われたけれども、ほんと人間って面白いもので、好きな人にしか書けないんだなって痛感した。1時間近く考えても、なんのアイディアも浮かばず、兄貴とスロット北斗の拳が好きだったからラオウでいいかと、ラオウと相田みつお風の文章を書いた。兄貴がもう1枚書いたのは「この支配からの卒業」だった(苦笑)。
 昔は可愛かった兄貴も大きくなってしまったら、邪魔な存在になり酷い扱いをかなり受けていた。よかれと思ってした事も拒否され、正しい事を言って反論したら激怒され。だから私たちはばあさんと喋ろうとしなくなった。こうなってしまったのが、自分の所為だと全く分からない素晴らしいばあさん。
 今日だって葬儀の帰り道、ひたすら兄貴とエロについて語り、地獄に堕ちるなと高笑い。無理した会話ではなく、自然の会話。何時もと変わらない。そう。私たちは変わらず、かたくなだ。
 ばあさんが可愛くない年寄りだったから、私はマダムによく「可愛い年寄りになりなさい。人に優しく、自分には厳しく、甘えたい時は素直に甘え、自分の気持ちを素直に伝え、嫌な事はやんわり断り、乱暴な言葉や態度はとらず、誰からも愛される存在になりなさい」と、話す。私はそれが無理なのを知っている。だって、今だって優しくもないし、いい人間でもないし。だから、マダムにそうなって欲しい。そして満足な終幕を迎えて欲しい。自分も他人も「いい最期だった」と、思うような終幕を迎えて欲しいのだ。
 私がこんな調子だからか、誰かが1時過ぎ帰ってきた。家には兄貴と私しか居ないのに誰かが門を開けて帰ってきた。風で開いた時と違う音だから、誰かが来たんだなと思った。だからっておべんちゃらを言ったり、取り繕ったり、嘘を言う気もないから、素直に「手紙は書けない」と、明日ははっきり伝えよう。
 ばあさんが文句を言わなくなったら死ぬと、思ったら、本当にそうだった。入院したばかりの頃は、よく看護師やヘルパーと喧嘩して、自分の娘とも喧嘩していた。看護師が1度凄いキレた事があったりして、病院追い出される危機に直面したな。
 棺の中を見たら思わず笑ってしまった、今日。枕元におじいちゃんと撮った写真と舟券。ギャンブラーの最期。おやすみさい。さようなら。